「秩父三十四観音霊場」札所巡り!
札所22番は、華台山(かだいさん)・童子堂(どうじどう)です。
童子堂(観音堂)の彫刻は見逃さない様にしてくださいね。他にも境内にお参りしたいポイントがある札所なので記録してあります。
まずは御朱印の朱印と墨書きの内容からご紹介していきます。
秩父札所22番「童子堂」の御朱印
いただいた御朱印は、こちらです。
秩父第二十二番印・佛法僧寶(宝印)・永福寺印・記帳年月日(黒印)
華台山・聖観音・童子堂
永福寺印について
府坂地内から現在の地(永田城跡)に移築された際に近くの「栄福寺」の管理となった。現在は童子堂の奥にある「西陽山・永福寺」が管理をしている。
童子堂の納経所になる永福寺です。
秩父札所22番「童子堂」について
元禄14年(1701年)に建立された童子堂(観音堂)は四注屋根三間四面の方形(四角形)造り、江戸時代の豪華な建物で堂の内部は極彩色に塗られ、鏡天井には蓮華唐草の模様が描かれ内陣の中央には唐様の須弥壇に宮殿厨子があり、弘法大師作と伝えられる御本尊(聖観世音菩薩)が安置されている。
正面の唐戸や扉には風神や雷神、そして美しい迦陵頻伽(かりょうびんが)の彫刻が施されています。
現在は歴史を感じさせるような雰囲気だが、当時の見事な彫刻は見逃せないポイントである。
極楽にいるとされている想像上の鳥の事だが、上半身は美しい女性で下半身は鳥の姿をして美しい声で鳴くという。
淳和天皇(じゅんなてんのう)の御弟にあたる伊予親王(いよしんのう)の菩提を弔うため遍照僧正(へんじょうそうじょう)がこの地の領主に命じて堂宇を建立させ御本尊を安置したのがはじまりと伝えられている。
延喜15年(915年)天然痘が流行したため、山奥にあった堂宇を里に近い北川の地へ移し観世音にその平癒を祈願したら子供達の間に蔓延していた天然痘はその力を失ってしまった。それ以来、病魔に犯された子供は観世音に祈って救われる様になり「童子堂」の名がうまれた
秩父札所22番「童子堂」境内の様子
境内の見逃せないポイントをご紹介していきます。
六地蔵と仁王門(山門)
六地蔵が出迎えてくれている先に仁王門があります。
仁王門というと「仁王様が睨みをきかせている」怖いイメージですが、こちらの仁王様は「童子仁王」といわれており、愛嬌がある仁王像なので安心して挨拶してください。
身代り地蔵尊
「身代り」となって助けてくださるお地蔵様です。昔からご利益があると伝えられています。
とげぬき地蔵尊
心身のとげ(病気・ケガなど)をぬいて健康を守ってくださるお地蔵様です。
地蔵塚
石で囲われ大きな石がのっています。中には手や足、首などが取れてしまったお地蔵様が安置されているそうです。(そっと手を合わせたいですね。)
観音霊験記(かんのんれいげんき)
昔、情け心のない金持ちの農民がいた。飢えた旅僧が訪れ食物の施与を頼んだら施さず汚く罵った。やむをえず僧は米を買い器に入れて犬を呼ぶと農民の子供が飛び出て犬の姿に変わり器の中の米を食べはじめた。驚いた農民は自分の行為を反省し僧にすがって詫びたが僧は因果応報を説いて姿を消した。農民は犬となった我が子を連れ百観音巡礼の旅にでた。童子堂にたどりついて祈願していると我が子が人間の姿に戻った。
秩父札所22番「童子堂」基本情報とアクセス
住所:埼玉県秩父市寺尾3600(永福寺は寺尾3595)
お問い合わせ先:0494-23-9989
本尊:聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)
宗派:真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)
ごくらくを ここにみつけて わらうだう のちのよまでも たのもしきかな
電車の場合
西武鉄道「西武秩父駅」より西武バス小鹿野車庫行「尾田蒔学校」下車徒歩約15分
秩父鉄道「秩父駅」より徒歩約40分
秩父札所21番からは、徒歩約25分といわれています。
最後に
とてものどかな雰囲気の中にある観音堂です。その奥にある納経所(永福寺)が新しい建物で大きいので圧倒されますよ。
境内にある新しく感じられる「身代り地蔵尊」や「とげぬき地蔵尊」多くの人が手を合わせ、お願いをしていくそうです。もちろん私もお願いしてきました。
さて、お次は札所23番です。
秩父札所23番「音楽堂」の情報はこちら↓
秩父札所巡り23番「松風山・音楽寺」境内の見どころ!音楽との関係