「秩父三十四観音霊場」札所巡り!
札所17番は、実正山(じつしょうさん)・定林寺(じょうりんじ)です。
「あの花」の聖地として一時期は多くの人が訪れ賑わっていたと思いますが、私の印象は「静かに時を重ねているお寺」といった感じでとても良い雰囲気のお寺です。
しかし由来(歴史)には色々とビックリしました。
さて今回も、定林寺の御朱印の内容からご紹介していきます。
秩父札所17番「定林寺」の御朱印
いただいた御朱印は、こちらです。
秩父第十七番印・佛法僧寶(宝印)・林寺印・記帳年月日
実正山・十一面観世音・定林寺
林寺印について
林家の持寺として開創されているので「林寺」の別称を持つ
秩父札所17番「定林寺」について
長享2年(1488年)秩父札所番付では定林寺が札所1番だったことが記されている。また当時の秩父札所は33番までであった。
観音堂は、四間四面の簡素でバランスのとれた造りになっており、周囲は念仏回路となっている。正面の上(天井と欄間の彫刻)をお見逃しなく!
御本尊は、高さ55cm寄木造りの十一面観音立像です。開眼の墨書きがあり優しい穏やかな表情をされている。
秩父札所17番「定林寺」境内の様子
定林寺の由来(歴史)なども一緒に画像付きで記録してあります。
梵鐘(ぼんしょう)
江戸初期の火災で、本堂とともに焼失したが、宝暦8年(1758年)に鋳造されたそうです。
銅鐘の周囲には、日本百番観音霊場(秩父・坂東・四国)の御本尊像(100観音)が浮き彫りされ各御詠歌が刻まれています。貴重な工芸品として、昭和39年3月27日に埼玉県の有形文化財に指定されています。
昔ある妊婦が巡礼中、この地に訪れた時に出産し、子供を油紙に包み近くの沼に捨てて巡礼を続けた。結願を果たし家に帰ると、捨てたはずの子供が土間にいた!驚いて土間を掘ってみると、定林寺の御本尊様の姿があった。女は自分の行為を悔やんで梵鐘をつくり定林寺に寄進した。
御本尊の浮き彫りや刻まれている御詠歌をぜひ近くで見てくださいね!
地蔵尊
本堂に向かう階段の手前左側にあります。
弁財天様と地蔵尊が祀られています。弁財天様は開運・招福・長寿などのご利益、地蔵尊は子育て・水子供養のご利益があります。
諏訪神社
勝利祈願・商売繁盛・子授かりなどのご利益があります。
「あの花」の聖地
大ヒットしたアニメですよね「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」今だに!といってはいけないのでしょうが、ポスターや絵馬などがありました。
観音霊験記(かんのんれいげんき)
観音堂の上の方の壁にあります。
壬生良門の家臣だった林太郎定元は、良門の横暴な振る舞いに苦言を呈したら追放され、妻と子を連れ縁故を頼りこの地に向かう様子が描かれている。
その後、両親があいついで亡くなり残された子供は、空照という僧に引き取られた。あるとき良門が寺に立ち寄り定元の子供に会い、前非を悔い子供を林源太良元と名付け旧領を授け定元夫婦を弔うために堂宇を建て、定元の姓名をとって「定林寺」とした。(林寺とも称されていた)
秩父札所17番「定林寺」基本情報とアクセス
住所:埼玉県秩父市桜木町21-3
お問い合わせ先:0494-22-6857
本尊:十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
宗派:曹洞宗(そうとうしゅう)
あらましを おもひさだめし はやしでら かねききあへづ ゆめぞさめける
電車の場合
西武鉄道「西武秩父駅」より西武観光バス小鹿野車庫・栗尾行き(相生町経由)「札所17番入口」下車、徒歩約3分
秩父鉄道「秩父駅」より徒歩約15分
秩父札所16番からは、徒歩約20分といわれています。
最後に
定林寺の由来(歴史)にはビックリしましたが、改めて巡礼で訪れるお寺の由来(歴史)は知っておきたい情報であると思いました。
由来を知ってから訪れるのと、知らないで訪れるのでは見るものすべてが違う様な気がします。
少しでもお役に立てたら幸いです。
さて、お次は札所18番です。
秩父札所18番「神門寺」の情報はこちら↓
秩父札所巡り18番「白道山・神門寺」森玄黄斎の扁額(彫刻)が今も残っている