「秩父三十四観音霊場」札所巡り!
札所24番は、光智山(こうちさん)・法泉寺(ほうせんじ)です。
一直線で急な石段!画像だと簡単に登れそうに思えるかもしれませんが、かなり体力が必要です。
久々に膝が笑う(ガクガク)を体験しました。それと「酸素が足りない」と身体が要求してくるので(ハァ~ハァ~)凄い事になります。
ちなみに116段の石段を普通に数えていくと117段になるのですが、一番上は霊地になり段には含まれていなので「116段」になります。
さて、大変な思いをしてたどり着いた法泉寺についてご紹介していきます。まずは御朱印の朱印と墨書きの内容からです。
秩父札所24番「法泉寺」の御朱印
いただいた御朱印は、こちらです。
秩父第二十四番印・不明印(宝印)・不明印
光智山・聖観世音・記帳年月日・法泉寺
朱印で「不明」とされている部分!ぜひ御朱印をいただいた時に尋ねてくださいませ。
秩父札所24番「法泉寺」について
観音堂は三間四面方形造りで、江戸時代中期の建築といわれているが、当時の茅葺屋根は昭和48年(1973年)に改修を行っている。
珍しい構造になっており、全面が仁王門の形式で表の唐戸が後退しその左右に仁王尊が祀られ八角柱である。
御本尊様は聖観世音一本造りで蓮華の上に座っている坐像です。高さが約25cm、室町時代作で宋朝風の美しい姿をしているといわれています。
法泉寺の創建年代は不明となっているが縁起があるので記録しておきます。
養老元年(717年)越前の大徳泰澄が武蔵を巡って秩父の峰に登り清らかな所で杖を留めていると、夢の中に気高き姫神があらわれ「あなたに誓って造り奉る御仏がある」といって腰の剣を抜き枯れ木を三つに切り、その一つで聖観音を刻み「私は日の神である」と名乗った。この時後ろで山鳴りがし三柱の神様があらわれ「ながく霊場を守り奉る」といった。この神様の中に十一面観音の化身といわれている白山姫も含まれていた。
泰澄大師は余った木を箸にしてたくさんの人に与えたが、この箸が万病を除くと信じられ木の枝を削って与える様になったと伝えられている。
秩父札所24番「法泉寺」境内の様子
平和観音像と六地蔵尊
世界の平和と家庭の平和を願っている観音様です。穏やかな表情の中に厳しさを感じるのは私だけでしょうか?
六地蔵尊は新しくなった様です。
一休さん
「一休み・一休み」と記されているのですが、一休さん寝ている様に見えます。確かに116段の石段を登って来て体力を回復させる為には一休み必要なポイントですね。
そうです!登って来た石段を、今度はおりなくてはなりません。
登って来た時に、膝が笑う状態になってしまった人は要注意!必ず手すりを使いましょう。
観音霊験記(かんのんれいげんき)
観音堂右側の壁の上にあります。
観世音を信仰していた武州恋ヶ窪の遊女が、口内の病に悩んでいたところ、秩父の修行僧が一本の楊(やなぎ)の枝を与え「白山の観音を信じこれで口内をそそぎなさい」と教えられた。教え通りにすると痛みが治ったという縁起がある
秩父札所24番「法泉寺」基本情報とアクセス
住所:埼玉県秩父市別所1586
お問い合わせ先:0494-23-0943
本尊:聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)
宗派:臨済宗南禅寺派(りんざいしゅうなんぜんじは)
あまてらす かみのははその いろかへて なおもふりぬる ゆきのしらやま
電車の場合
西武鉄道「西武秩父駅」より西武バス久那行「札所24番」下車徒歩すぐ
秩父鉄道「影森駅」より徒歩約40分
秩父札所23番からは、徒歩約50分といわれています。
最後に
秩父札所巡りで「体力の限界を超えた」とはじめて感じたのが秩父札所24番「法泉寺」
しかし、昔の人はすべて徒歩で巡り法泉寺にたどり着いている。それを思うと色々な事をなぜか反省してしまう。
自分自身の今の生活について考える事ができた札所かもしれない。
だが、この先もっと辛く大変な思いをする札所がある事を、この時まだ私は知らなかった。
さて、お次は札所25番です。
秩父札所25番「久昌寺」の情報はこちら↓
秩父札所巡り25番「岩谷山・久昌寺」通称「御手判寺」あの世で必要な通行手形