埼玉県所沢市に鎮座する「北野天神社」に御朱印をいただきに行ってきました。
何と!通常御朱印が2種類あるというので「何で?」と思ったのですが・・・
それは「北野天神社について」で記録してあります。
まずは気になる御朱印からご紹介していきますが、3社分のご利益と境内社のご利益もお見逃しなく!
北野天神社の御朱印情報
通常御朱印は2種類あります。
(直書き500円)
(直書き500円)
壺の朱印が謎!
読みづらいですが茶壷の中に「無左志・狭山・御銘茶所・久利波良惣」と記されています。
武蔵国の特別に上質な「茶」今なら「狭山茶」のことです。
明治期までは神主の家(栗原家)もお茶の栽培をしていたので、このような印になったそうだ。
そして通常御朱印が2つある理由はこの後ご紹介する「北野天神社について」で記録してありますので、これは絶対にお見逃しなく!
期間限定御朱印
参拝したときには手水舎の横に限定御朱印情報が展示されていました。
新嘗祭記念御朱印と七五三記念御朱印がありました。
七五三の御朱印はやはりお祝いの記念としていただくべきご家族様の御朱印かな?と思い・・・
私は新嘗祭の御朱印をいただきました。
(書置き500円)
11月15日までと16日からとは俵牛(たわらうし)の色が違うという・・・なかなか面白い!
15日までは菅原道真公に縁がある黒毛
16日からは神聖な色である白毛
期間限定御朱印は月ごとに新しい御朱印が登場するようです。
御朱印をいただける場所は、広々とした境内のすみに社務所があります。
(時間帯:9:00~16:30頃まで)
北野天神社について
御朱印情報でも記載しましたが、なぜ通常御朱印が2種類あるのか?
参拝前に確認しておきましょう。
いただいたご由緒書きより一部抜粋してご紹介します。
北野天神社の社名(正式名称)は何と!「物部天神社(もののべてんじんじゃ)」「國渭地祇神社(くにいちぎじんじゃ)」「天満天神社(てんまんてんじんじゃ)」なのです。
この3社を合殿に祀ることで、総称として「北野天神社」と呼ばれているのです。
物部天神社と國渭地祇神社は日本武尊が東征の折に創建
天満天神社は長徳年間(一条天皇の御代)京都の北野天満宮より御分霊を勧請
京都の北野天満宮より菅原道真公の御分霊を関東地方以東で最初に勧請したことで「坂東第一北野天満宮」と定められ、この頃からこの地方は北野と呼ばれるようになった。
通常御朱印が2つある理由が分かりましたね。
総称名の御朱印と正式名称の御朱印の2つになります。
御祭神と御神徳(ご利益)
なんたって3社ありますからご利益が凄い!それぞれ御神徳(ご利益)をご紹介します。
物部天神社
御祭神:櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)
御祭神は物部氏の祖先神で、天磐船(あまのいわふね)に乗り天から下ったと伝えられている。
交通・航空安全・勝運上昇
國渭地祇神社
御祭神:八千矛神(やちほこのかみ)
八千矛神は国づくりを行い人々の生活を豊かにした神様「大国主命」ともいわれています。
家運隆昌・商売繁盛・良縁祈願
天満天神社
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
幼少の頃から学業に励み優れた才能の持ち主で、学問の神様として信仰されています。
学業成就・合格祈願・技芸上達・厄除け
どうですかね?お願いしたい(叶えたい思い)が含まれているのではないでしょうか?
ただし、日頃の感謝の気持ちを伝えてからガツンとお願いしちゃいましょう!
北野天神社!境内の見どころ
境内の見どころはちゃんとチェックしてから行かれる方がよいですよ!
北野天神社の正面となる鳥居と参道
北野天神社の入り口となる鳥居は南側と西側の2ヵ所あり、南側が正面となる鳥居になるらしいのでご紹介していきます。
ちなみに西側の入り口となる鳥居は駐車場がある方なので基本情報(駐車場)で記録してあります。
県道179(青梅線)沿いに入り口となる鳥居があります。
こちらが一の鳥居ですが、参道に大きな木がそびえ立ちとても良い氣が流れていることを感じることができます。
奥に鳥居が見えていましたが、灯籠が並ぶ参道を歩いて行くと二の鳥居です。
あれっ!薄暗くて怖い参道のように思えますが・・・
これは撮り方の問題で(私、写真を撮るのが下手くそなので)ゆっくり歩きたくなるような良い参道です。
石畳の参道を進んで行くと二手に分かれます。
この画像だと正面?(右手)に進んで見えるのが社務所になりますが、左手に進んで行きますよ。
拝殿前の境内の様子(馬がいるのかと思った)
はい!二手に分かれた参道を左手に進んで行くと広々な境内の先に拝殿が見えてきます。
歩いて行く順番に見どころをご紹介していきます。
すぐに気になるのが、大きな石が囲われている風景。しかも5個!
「力石」です。
徳川時代末期から明治初期まで関東各地で力試しや記念として奉納された石です。
石には霊力がつくといわれ、差し上げると神の感応を知る石占い!
石に実量より2割増しの重さが刻まれているようだが、確認できる状態ではなく長い年月ここにある石ということが分かる。
石碑が多いのですが・・・ここはカット!(参拝時にご自身でご確認ください)
ただ・・・この桜の木は見逃すな!
力石の先は広々とした境内に出ますが、右手には・・・
尊桜(みことざくら)
何と!日本武尊が植えたと伝えられている桜なのです。
枝の勢いが「たける~」って感じ!(お見逃しなく!)
だけど「尊桜」という名であり種類じゃないよ!種類は山桜です。
尊桜の前には享和2年(1802年)に建てられ所沢市内では最古の歌碑があります。
参道の左手(境内のほぼ中央)に手水舎があります。
2010年に改築されています。
私が行った時はコロナ対策使用でしたが、ご自身を清めてから先に進みましょう。
あっ!拝殿に向かう前に左手には馬がいます。
めちゃくちゃ可愛い?イケメンの馬で本物かと思うぐらい可愛い!
神社で神馬を見かけるとき木製や銅製などが多いが、木とわらで作られているからか?優しいお顔!
昔から馬は神様の乗り物とされ、神社に奉納される馬のことを神馬(しんめ)といいます。
祈願する時に本物の馬・木彫りの馬・馬の板絵などが奉納されていたそうだ。
この神馬は、令和の幕開けを祝し氏子の有志の方々が奉納された。
何ともいえない狛犬と貫禄ある社殿
北野天神社の狛犬はあまり見かけない表情をされています。
突っ込みどころが多すぎて何ともいえない!
さて、こちらが拝殿です。
大きな木に囲まれ貫禄があります。
やはり本殿も凄い貫禄!
北野天神社!境内社のご利益を見逃すな!
境内の摂末社を紹介していきます。
拝殿の左手には「小手指神社」
小手指神社(航空神社)
終戦後に入間市豊岡の航空士官学校にあった「航空神社」を移し慰霊祭が行われていたが、その後、自衛隊奈良幹部学校に碑となって移された。
以降地域の日清・日露戦争以降の戦没者を慰霊しています。
所沢の航空史と戦争の歴史を伝える神社である。
奥に行くと2社並んでいます。
まずは「稲荷社」
宇賀美玉神が祀られています。
お稲荷さまのご利益は、五穀豊穣・商売繁盛
その横に「八雲神社」天王様(てんのうさま)
須佐之男尊が祀られています。
毎年7月14日には境内に地口絵(じくちえ)や竹灯籠が並べられ、15日には疫病除け・無病息災を祈る八雲祭が行われる。
社の中にはお神輿と獅子頭が奉納されているそうだ。
次は拝殿の右側の境内社です。
文子天神社(あやこてんじんしゃ)
菅原道真公の乳母(多治比文子様)が祀られています。
養蚕の神様・女性や子供の守り神様
お隣には諸神宮(しょじんぐう)
延喜式内3132座の神様が祀られています。
そして西側の参道(駐車場側)に石宮神社(いしのみやじんじゃ)
御祭神は大己貴神(大黒様)・少彦名命(恵比寿様)・八重垣大明神(伴部安崇)
明治年間に水天宮を合祀した。
北野天神社の基本情報・アクセス・駐車場
住所:埼玉県所沢市小手指元町3-28-44
お問い合わせ先:04-2948-0653
電車の場合
西武池袋線「小手指駅」より徒歩約25分
バス利用の場合「小手指駅」南口より椿峰ニュータウン行に乗り「北野天神前」で降り徒歩約2分
車の場合
首都圏中央連絡自動車道(圏央道)「入間インター」より約15分
無料駐車場あります。
駐車場入り口横にある鳥居
境内の西側にある鳥居で、南北に通る旧鎌倉街道に面しているそうです。
このまま進むと手水舎に突き当たります。
最後に
車で行ったので、駐車場がある西側の鳥居から境内に行ったのですが・・・
正面となる一の鳥居からの参道をぜひ歩いて参拝していただきたいと思える神社ですよ。
私は11月の参拝でしたが、可能なら桜の時期がおすすめです。
尊桜も気になりますが、境内には桜の木がたくさんあるので今回ご紹介した拝殿(境内)の風景とはかなり違うと思います。(また桜の時期に行けたらご紹介しますね)
さて、せっかく所沢に来たのなら車で5分の場所に鎮座する「中氷川神社」も参拝予定に入れてみては?
御朱印情報や境内の見どころはこちら↓のサイトが参考になります。
武蔵三氷川の一つ「中氷川神社」の御朱印情報と境内の見どころ