栃木県那須町に鎮座する那須温泉神社に行ったのなら、社殿の奥にある殺生石(せっしょうせき)にも行くべきだ!
今回は社殿奥から殺生石までをご紹介していきますが・・・
その他にも見どころ(知っておきたい情報)があるので分かりやすく記録してあります。
ちなみに、那須温泉神社の参拝前の情報として御朱印やご利益・見どころをご紹介しているサイトを添付しておりますので、その流れで見てもらうと完璧です。
殺生石について
まずは殺生石って何?知らないと行っても意味がないと思うので記録しておきます。
しかし、いつものように簡単に説明したいのですが・・・
知っておきたい情報としてまとめたら長くなっちゃった(笑)
殺生石の由来
昔、中国やインドで美しい女性に姿を変え悪行を重ねていた妖狐(白面金毛九尾の狐)が、何と!日本に渡来(平安時代後期)羽鳥上皇の龍姫(玉藻前)に化け日本を亡ぼそうとしていた九尾の狐の正体を見破ったのが「陰陽師(阿部泰成)」
九尾の狐は那須野が原まで逃げても悪行を繰り返していたので、朝廷が「三浦介・上総介」の両名に九尾の狐を退治するように命じた。
すると九尾の狐の姿は毒石になり、毒気を放ち近付く人や動物の命を奪う「殺生石(せっしょうせき)」となったのだ!
そして室町時代になり、泉渓寺の名僧「源翁和尚(げんのうおしょう)」が大乗経(お経)を唱え続けると、毒石は3つに割れ飛び散り1つがここに残った!
3つに割れ飛び散った他の2つがどこに行ったか?気になるけど・・・
色々調べたが、諸説あり過ぎで気にしないことにしたので記録しておりません。
殺生石が2つに割れていた!
毒石が3つに割れ飛び散った1つが、この栃木県那須町湯本の国指定名勝「殺生石」だが、令和4年(2022年)3月5日に2つに割れていることが確認されたそうだ。
何と!その後12月には殺生石の近くで猪8頭の死骸が見つかったが、これまでにもタヌキやキツネの死骸も見つかっており、有毒性のガスが発生しているので近付かなければ問題ないが、子供(幼児)やペット連れの人は注意が必要!
「殺生石」まで行ってみた!
殺生石に行くには2つのルートがあります。
- 那須温泉神社の大鳥居手前にある無料駐車場に車を止めて、参道を通り参拝した社殿の奥から殺生石に行くか!
- 那須温泉神社の大鳥居を通り過ぎて那須街道をそのまま進んで行くと殺生石がある殺生石園地の無料駐車場から殺生石に行くか!
殺生石園地の駐車場をご利用になると、殺生石と周辺の見どころが行きと帰りでスムーズに巡ることができるような感じなのですが・・・
今回ご紹介するのは、那須温泉神社に参拝した社殿の奥から殺生石に行く見どころをご紹介していきます。
那須温泉神社の情報はこちら↓
「那須温泉神社」2種類の御朱印!最強妖狐のご利益!那須温泉神社の社殿の奥から殺生石に行くには?
那須温泉神社の情報を見ていただいた流れでの説明になります。
社殿横の九尾稲荷神社の隣の道に馬の石像がありその奥に道が続いています。
「殺生石」への案内があるので左手に進むとこんな感じ感じ↓
右手に見えているのが殺生石園地です。
道なりに進んで行くと鳥居がありますよ。
鳥居をくぐって扁額を確認したら「温泉神社」と刻まれていました。
何だろ?「殺生石に行ってから那須温泉神社に参拝しろ」ということなのかな?
私は、今回ご紹介しているルートの方がいいと思うけどな!
鳥居の先を進んで行くと殺生石園地に入る橋がありますよ。
橋を渡り歩いて行くと殺生石!
本当に殺生石が2つに割れていた!
「石の香橋」を渡ると殺生石がある場所です。
えっどれが殺生石?
何かこの一帯にある石がすべて殺生石という情報もあるのですが・・・
「殺生石について」でお伝えしましたが、殺生石が割れていました。
しめ縄があるのですぐに分かりますが・・・
綺麗に割れているのが不思議だよね。
殺生石!周辺の見どころ
殺生石園地は歩きやすいように整備された遊歩道になっています。
殺生石から振り返った光景です。
では、歩いておりていきますよ。
教傳地獄(何か切ない)と千体地蔵(何か凄い)
先ほどの画像で右手にちょっと建物が見えていますが、休憩場があります。
その手前にお地蔵さまがいます。
教傳地獄のご由緒があり、供養の為に建立されたお地蔵さまです。
教傳地獄の由来についても長くなっちゃった(笑)
でもさ~これでも一部抜粋情報↓
後醍醐天皇の御代、奥州白河在の五箇村にある蓮華寺(れんげじ)に「教傳(きょうでん)」という小坊主がいた。
教傳は生まれながらに悪童で、心配した母親が蓮華寺に預かってもらうことにした。
教傳が28歳になり、前住職の跡を継ぎ母親と一緒に住むようになったが行いは少しも直っていなかった。
延元元年(1336年)教傳が友人たちと那須温泉に行くことになり、その日に母親が用意した朝食を「まだ支度もできていないのに」と悪口を言いながら蹴り飛ばして出発した。
那須温泉に到着した教傳達が殺傷石を見学しようと近くまで行くと、今まで晴れていたのに雷鳴が天地を揺るがし大地から火炎熱湯が噴出した。
教傳は一歩も動くことができず、逃げ去った友人が振り向くと「おれは母の用意したお膳を足蹴りにした天罰を受け火の海の地獄におちて行く」と大声をあげ苦しみもがいていた。
友人が助けようと引き出したが、教傳の腰から下は炭のように焼けただれ息を引き取った。
享保5年(1720年)に地蔵を建立し供養を行ったが、親不孝の戒めとして参拝する者が後を断たなかったそうだ!
(現在の地蔵は昭和57年に建立されたものです)
自分も反抗期があり、母親が夕食を用意してくれているのに「今日は食べて来たからいらない」なんて普通に言っていたことを思い出し、何か切ない気持ちになりました。
教傳地獄の手前にあるのが千体地蔵
ちょっと草?で見づらいですが、たくさんのお地蔵さまが並んでいます。
近くで見ると「何かヘン」と思うお地蔵さまです。
こちらのお地蔵さまは合わせている手が大きいのです。
湯の花採取場跡
遊歩道が二股に分かれますが、左手に進むと湯の花採取場跡があります。
湯の花とは・・・地表から吹き出したガスの硫黄成分が結晶したもの!
江戸時代、年貢米(ねんぐまい)の代わりに湯の花を納めていたことから貴重な資源であったことがうかがえる。
その隣には・・・
盲蛇石(優しさをいつも心に)
盲蛇石はこちら↓
昔ある冬のこと、この地で五左衛門という男が盲目の大蛇と出会った。
大蛇が厳しい冬を越せないだろうと気の毒に思いススキと小枝で小屋を作ってあげた。
翌春、小屋を訪れると大蛇の姿はなく輝く湯の花があるばかりであった。
その後、湯の花の作り方は村の人々に広まり、大蛇への感謝の意を込めて蛇の首に似た石を「盲蛇石」と名付け大切にしたそうだ!
えっ蛇の首に似ているのか?ということはさておき!
大蛇(蛇)に対して、優しさを行動にうつせるか?と、自分に問いかけてみましたが難しい。
優しさをいつも心に持ちたいと思いました。
このまま先に進んで行くと殺生石園地の駐車場に行く「いでゆ橋」があります。
橋を渡った先にある建物は御手洗い(トイレ)です。
最後に
今回は那須温泉神社から殺生石に行くご案内なので「基本情報・アクセス・駐車場」については途中に添付した那須温泉神社のサイトをご確認くださいませ。
殺生石のご由緒で登場した「九尾の狐(白面金毛九尾の狐)」が祀られている九尾稲荷神社!
私は那須温泉神社で九尾稲荷神社に参拝してから殺生石に行く方がいいかな?と思いますが「逆ルートでの参拝もあり」かもしれませんね。
昔から伝えられているご由緒って・・・
やはり知ってから参拝するべきですね。